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7
Jan 2012
Posted in arbor inversa, Blog, Mnemosyne by arbor inversa at 07:33 pm | No Comments »

------- 絵は黙せる詩 詩は語る絵 (シモニデス)

 

 現代の人々がエンブレムと聞いて思い浮かべるのは、ブレザーの胸ポケットを飾るワッペンや、制帽の徽章といったアクセサリーであろう。伊藤博明著『綺想 の表象学』(ありな書房)によると、エンブレムとは、「填め込まれたもの」を意味する古ギリシア語 ἔμβλημα (emblema)に由来し、古ラテン語emblemaは、象嵌細工やモザイク作品を意味した。また、食器などの器に取り付ける、着脱可能な装飾部分を指 す語でもあった。すなわち、この語が意味する物体の用途は、古い時代から装飾、アクセサリーだった。ワッペンであれ、ブローチであれ、盾形や円形といった 制限された区画の中に、必要な視覚的情報を構成し、美しく填め込んだ工芸、デザインのことである。

 ところが、1531年、アウクスブルクの書肆ハインリヒ・シュタイナーから"Libellum emblematum"(諸エンブムレムの小書)<fig.1>を刊行したアンドレア・アルチャーティは、自らの詩集をemblemata(エンブレマー タ)(=エンブレム集)と称した。その意図は、個人や団体の姿勢やシンボルを表わすための、例えば出版社票のデザインなどに、自らのエピグラムがアイディ アを提供するだろうとの計らいだったらしい。この著書のエピグラムの一々に、丁寧に小さな版画の図版を入れて出版をプロデュースした書肆の狙いは大当たり し、以後、このアルチャーティの書は版を重ねて、欧州中のエンブレムブックの規範となり、後続の出版はバロック期に向かって隆盛を極めていく。当時は大変 もてはやされた文学ジャンルであったため、アントワープに巨大工房を構え、若きルーベンスを指導したオットー・ファン・フェーン(オットー・ウェニウス) なども、幾つかエンブレムブックの傑作を手掛けている。

 エンブレムブックにおける「エンブレム」とは、モットー(表題)、図像、エピグラム(銘文)から構成され、一般的な道徳(あるいは宗教的な徳)を説くも ので、図像は言葉によって完全に解き明かされるものだった。今の図解本のようなものであったと言えようか。その一方、王侯貴族の個人的な意図や願望を象徴 的に表現するインプレーサ(仏語でドヴィーズ、英語でデヴァイス)というものが存在したが、それらはモットーと図像から構成され、エンブレムとは区別され るものであった。(だが、図像とテキストが協働して何がしかを象徴するという点では共通しており、このジャンルにも、興味深い仕事が残されている。)

 このような一般的な徳や教訓などを説く主流のみならず、ミヒャエル・マイヤーの 『逃走するアタランタ』(1617)のような錬金術の著作もまた、エンブレムブックの形式を採用した。<fig.7>そして、1677年にフランスで出版 された『沈黙の書』<fig.8>に至っては、テキストは黙秘の内に掻き消え、読者に秘術を伝えようと紙面に繰り広げられるのは、不器用な風貌で賢者の石 づくりを励行する一組のカップルをめぐる15枚の図像だけである。

 思えば四半世紀の昔、銅版画を始めた頃だったか、白水社のヘルメス叢書にて、この無言のエンブレムを見たときの胸騒ぎが、現在に至る私にとっての長旅の 出航だったかもしれない。その時の奇妙な感覚は、ミュージアムにて万人の胸を震わす一枚の傑作の前に立つときのものとも異なり、熟読するのに労を要する名 著に自室で挑むときの高揚感とも一線を画す。そもそも錬金術の秘法を研究するでもない異国の門外漢にとって、ここに書かれているはずの叡智を読むなど、文 字が書かれていなくとも文盲の読書である。文盲と白状するならば、ラテン語やらオランダ語やら異国の言語で書かれたモットーやエピグラムに伴われた大方の エンブレム図像についても同じことが言える。

 しかしながら、エンブレムブックに収録された異国の図像の数々を、文盲ならではの嗅覚でサーヴェイしていると、絵師の創意工夫だったのか意図せざる技 だったのか分からないが、その意味することが理解できなくても、ある特別な体験が生まれることがある。それは、イマジネーションの扉が開き、現代科学風に 言えば異次元宇宙への扉が開くようなもの、と言ったら大袈裟に聞こえるだろうか。邯鄲の中に入るように、図像の中の刷りの余白、2次元宇宙に引き込まれる 一瞬。時には、無名に近い絵師たちが作ったあまりにも素朴な図像もあるというのに、それだけの力を秘めているというのは、いったい何故なのか。美術興行の 手垢に塗れることなく、ただ読者との出会いを期待して、読まれるための舞台である「書物」の内に身をそっと潜ませていたからなのだろうか。つくづく、絵を 描くという行為には、測り知れない秘密がある、と思う。何万年も前に描かれた岩窟の絵や骨片に刻まれた紋様など、美術史が考古学になる刻限まで遡って思い を巡らせてみると、息長く遙か彼方まで越境して、人々の記憶に寄生し続けるのは、マッチ箱の図案に繰り返されるような、ささやかなイコンなのかもしれない などと夢想する。

 2次元宇宙にせよ、過去への遡行にせよ、いずれにせよ此処ならぬ彼処への扉を、異国の黴臭いグラフィックに見出すのは、おそらく私個人の異国趣味なのだ ろう。だが、そのようにして異次元のものに結ばれるまま、自分なりの図像を紡ぎだすとき、現代日本を生きる日々の体験が、そのグロテスクな現身を脱いで、 より生々しく迫ってくる。白々としたページの余白は質量を増して黒い天体となり、天地の無慈悲も、人の世の不条理も、小さな慰めの数々も引き込んで益々輝 き、愚かで強靭な生命である私たちを、無情に照らし続けるかのようだ・・・

 今回の個展に際し、数多の楽しみをもたらしてくれた図像たちに謝意を表しつつ、勇を鼓して『エンブレマータ』と題打った。そして、絵が仕上がるたびに添 える画題は、描かれたものに唯一言葉の窓を穿つ点で、インプレーサにとってのモットーに見立ててみよう。あとは、ルネッサンスの賢人よろしく『ギリシア詞 華集』を模したエピグラムでも物せればエンブレムとして恰好がつくが、そんな教養も詩才もないので、かつての定型を再現することなど意図できるはずもな い。ただ、エンブレムブックのページのように、絵と言葉が主従関係でなく共振するような場が作れたらと願い、制作中の戯れに書き散らす小文を、会期中、即 興演奏と共に朗読する。

 

 

 

 

 

<fig.1>アンドレア・アルチャーティ『諸エンブムレムの小書』(1531)より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<fig.2>ヨハネス・サンブクス 『エンブレム集』初版(1564)
ハプスブルク皇帝ルドルフ2世に仕えた歴史家が収集した167のエンブレム集。各ページに、モットー、図版、エピグラムで構成するエンブレムブックの定型。

 

 

 

 

 

 

<fig.3>オットー・ウェニウス『ホラティウスのエンブレム集』第三版(1612)
図版は大きく扱われており、見開きの左ページにホラティウスの詩を中心としたテキスト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<fig.4>ヘルマン・フーゴー『敬虔な欲望』英語版(1679)
イエズス会士による、キリスト教エンブレム集のベストセラー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<fig.5>パオロ・ジョーヴィオ『戦いと愛のインプレーサについての対話』リヨン版 (1559)
フランソワ1世のサラマンドラのインプレーサが、対話中に挿入されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<fig.6>クロード・パラダン『英雄的ドヴィーズ集』英語版(1591)
このドヴィーズが伴うモットーは「興味深き、自然の模倣者」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<fig.7>ミヒャエル・マイヤー『逃走するアタランタ』(1617)
扉ページに大きくEMBLEMATAと掲げられている。標語とエピグラムを伴う50の図版、さらに、マイアー自身によって作曲された音楽で構成されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<fig.8>作者不詳『沈黙の書』(1677)
錬金術の最終段階を表わす最後のエンブレムには、Oculatus abis(目を与えられ、汝は発つ)の言葉がある。

10
Dec 2009
Posted in Blog, Mnemosyne by arbor inversa at 02:42 am | No Comments »

----------  「彼らは物食うように我が民を食らい、また神を呼ぶことをしない」詩篇53

フランス国立図書館の画像アーカイブ ”Mandragore, base des manuscrits enluminés de la B.n.F.” で見た一枚の挿画から、2005年に「メランコリー」展(グラン・パレ、パリ)で見たサトゥルヌスと人狼へ、そして、罪人たちを食むサタンの口音だけが響く地獄の最下層へ・・・・

 

 


 

BnFfrancais3_f277v

ギュイアール・デ・ムーラン『歴史物語聖書』より「愚かな人(詩篇第52)」

Bibliothèque nationale de France, Département des Manuscrits, Division occidentale, Français 3, Folio:277v
Guiard des Moulins "Bible Historiale"

 

 

 

 

 

Getty_MS.1,V1,_f284

ジャン・ド・マンデヴィユの親方『歴史物語聖書』より「愚者と悪魔」

Getty Museum, MS. 1, V1, FOL. 284
Master of Jean de Mandeville " Historical Bible"

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ヘシオドスの『神統記』によると、クロノスは母神ガイアと謀って、その父神ウラノスを鎌で去勢した神である。そして、自らもまたわが子に滅ばされるとの予言を恐れて、妻レアーとの間に生まれる子らをすべて飲み込んだ。恐れからわが子を「丸呑み」にしていたクロノスKronosだが、ローマの農耕神サトゥルヌスが習合され、よく似た名前の時間神クロノス(Chronos)との混同(あるいは同化の試み)を経て、やがて様々なアトリビュートを負わされていく。
時間を象徴するウロボロス、ドラゴン、砂時計、あるいは、大鎌、去勢、片足、義足、松葉杖。
占星術の一役を担うものとして、土星、磨羯宮の山羊、そして陰鬱で瞑想的な憂鬱気質・・・
子どもを口元へ運ぼうとする仕種もどこか儀式めいてゆき、万物を作っては壊していく、循環する「時間」の象徴絵図[「時の翁」へと落ち着いていく。

 

 

原初のクロノスの恐れを、今一度、現代にも通じる狂気によって、すさまじいまでに蘇らせた傑作は、周知の通り、ゴヤの黒い絵の1枚であるが、15世紀初頭の手写本に描かれたこの中世風の小さな挿画は、様々なシンボルがズラリと並んだサトゥルヌスより以前の、野卑で土俗的な人狼伝説にも通じる風体である。いったい、これらは、遠い昔にいつかどこかで目撃した、蛮族の食人の記憶なのであろうか。

 

BnFfrancais229_f7v

ボッカチオ『王侯の没落(名士列伝)』より「わが子を食らうサトゥルヌス」

Bibliothèque nationale de France, Département des Manuscrits, Division occidentale,  Français 229, Folio : 7v
Boccace,"De Casibus" (trad. laurent de premierfait)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Werwolf

ルーカス・クラナッハ(父)『人狼』
Lucas Cranach der Ältere, "Werwolf" 1512

Gotha, Herzogliches Museum (Landesmuseum)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明るいオリンポスの主神ゼウスも、食人を嫌った。父ウラノスを倒して飲み込まれた兄妹たちを救い出したという忌まわしい過去を持つゼウスであるから、当然かもしれない。リカオンが神を接待するために子どもの肉を供したと知り、すぐさま王を狼に変えて罰したという。
神話が醸成されていく昔、人身供儀の根強い風習と、それに抗う理知との葛藤が、どのくらい長い間続いたのか・・・そしてその葛藤は、人間の理性の下で果たして終焉しているのか。

Lycaon_turned_into_wolf-Goltzius-1589

ヘンドリック・ゴルツィウス摸写『狼に変えられるリカオン』

Anonymous after Hendrik Goltzius (Dutch, 1558-1617), Lycaon Changed into a Wolf, 1589.

 

 

 

 

 

 

 

 

地獄ではサタンsatan(敵対者)となったルシファーが、最下層に閉じ込められて、3人の大罪人を永遠に貪っているという。その罰の過酷さが語ろうとするのもまた、食われることと同時に食うことへの昇華されない恐れであり、それはもしかしたら、黎明期ホモサピエンスの記憶であるのかもしれない。

 

monster001

19
Nov 2009
Posted in Blog, Mnemosyne by arbor inversa at 03:42 am | No Comments »

The most of plants shown in the Voynich manuscript are suspected their actuality. A number of occult lovers have  trasted it must be the botanical report from spitit world or unknown planet. However the purpose of discription might be unrialistic here from the start. It might be an excellent fake which was planned by John Dee and Edward Kelly to get on the gravy from Holly Roman Emperor Rudolph II who was very famous as  the maniac of alchemy and "wunderkammer". Or it might be a manuscript of lovely fantasy that was written by unkown fanatic mistics.

That may or may not be true any more, despite the purpose of creation, I'm very impressed by the image of  plants which were depicted here, for its free-spirited vitality and the tremendous unreality. Of course, there is nothing to be surprised very much in imagination of this author, as we know there had been many people who could see such a true nature of growning plants and put it in figures since the ancient time. We will look and find such a genious even in the common decor pattern.
However the authour of the Voynich manuscript accomplished a remarkable feat to make an extraordinal garden on the special place, pages of a book, and to keep the exuberance of strange plants forever, by use of expository text which was written in uundeciphered language. Those antic drawings in the king of rear books who never want to be read and understood seems to burst into laughing at the realism of surface.

 

ヴォイニッチ手稿の植物達はその実在が怪しまれるものが殆どである。霊界あるいは異星の植物学であると信じたいオカルト愛好者は多いことだろうが、もしかしたら最初から写実を目的としていないのかもしれない。ジョン・ディーとエドワード・ケリーが、錬金術や「驚異の部屋」作りに熱中する神聖ローマ皇帝ルドルフ二世をいっぱい担いでしこたま儲けようと企んだ、いかさまの逸品かもしれないし、知られざる狂気の神秘主義者がしたためた、愛すべき妄想かもしれない。

もはや真偽のほどは分らないが、創作の意図が何であれ、ここに描かれた植物の奔放な生命力、途方も無い在り得なさは一体何なのだろう。しかしながら、作者の想像力は驚かれるべきものではないだろう。成長する植物の本性を看破して、形象の中に封じることに秀でた人々は太古より数多く存在した。彼らの叡智の痕跡は、ありふれた装飾パターンの中にも、見出すことができるのだから。
しかしながら、ヴォイニッチ手稿の作者は、未だ解読されない言語で綴られた解説文らしきテキストと共に、書物のページという特別な空間の中で、比類の無い庭園を作り上げ、怪奇な植物達の繁茂を永遠に留め置く偉業をやってのけた。そのふざけたようなデッサンは、表層のリアリズムを爆発的に笑うかのようである。

 

 

 

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ヴォイニッチ・マニュスクリプト
VOYNICH MANUSCRIPT

イェール大学ベイニッケ稀覯本図書館のサイトで、転載した画像を含む全頁を閲覧可能
http://beinecke.library.yale.edu/digitallibrary/voynich.html

"Written in Central Europe at the end of the 15th or during the 16th century, the origin, language, and date of the Voynich Manuscript—named after the Polish-American antiquarian bookseller, Wilfrid M. Voynich, who acquired it in 1912—are still being debated as vigorously as its puzzling drawings and undeciphered text. Described as a magical or scientific text, nearly every page contains botanical, figurative, and scientific drawings of a provincial but lively character, drawn in ink with vibrant washes in various shades of green, brown, yellow, blue, and red.

Based on the subject matter of the drawings, the contents of the manuscript falls into six sections: 1) botanicals containing drawings of 113 unidentified plant species; 2) astronomical and astrological drawings including astral charts with radiating circles, suns and moons, Zodiac symbols such as fish (Pisces), a bull (Taurus), and an archer (Sagittarius), nude females emerging from pipes or chimneys, and courtly figures; 3) a biological section containing a myriad of drawings of miniature female nudes, most with swelled abdomens, immersed or wading in fluids and oddly interacting with interconnecting tubes and capsules; 4) an elaborate array of nine cosmological medallions, many drawn across several folded folios and depicting possible geographical forms; 5) pharmaceutical drawings of over 100 different species of medicinal herbs and roots portrayed with jars or vessels in red, blue, or green, and 6) continuous pages of text, possibly recipes, with star-like flowers marking each entry in the margins."

「ヴォイニッチ手稿は、15世紀末もしくは16世紀の間に中欧で書かれたと思しいが、出自、言語、出版年については、その不可思議なドローイング、未だ解読されていないテキストと共に、未だ活発に議論されているところである。ヴォイニッチ手稿という名は、1912年にこのマニュスクリプトを手に入れたポーランド系アメリカ人古書籍商のウィルフリッド・M・ヴォイニッチの名に拠っている。魔術的かつ科学的なテキストが書かれ、ほとんどすべてのページにわたって、垢抜けないが愛すべき風情の、植物学的、具象的、科学的なドローイングがあり、緑、茶、黄、青、赤といった様々な色彩による鮮やかな彩色を添えて、インクで描かれている。
ドローイングの主題に基づいて、写本の内容は6つのセクションに分類される。
1)特定できない113種のドローイングを含む植物画
2)放射状の円陣に、太陽、月、さらに魚(双魚宮)、牡牛(金牛宮)、射手(人馬宮)といった黄道十二宮のシンボルを伴うアストラルチャートを含んだ天文的、占星術的なドローイング。パイプや煙突から現れる裸の女性たちと宮廷風の人物たち。
3)多くのドローイングを含む生物学的なセクション。小さな裸の女性たちはその殆どが膨らんだ腹部を持ち、液体の中に浸され、またその中を歩き、互に連結したチューブやカプセルを通じて奇妙に干渉し合っている。
4)9つの宇宙論的なメダリヨンの配列が入念に描かれている。多くがいくつかに折り畳まれたフォリオにまたがって描かれ、地理学的とも取れる形象が表されている。
5)異なる100種以上の薬草や根が、広口瓶や容器と共に赤、青、緑で描かれた、薬学的なドローイング
6)そして、おそらく調合レシピと思われるテキストのページが続く。星状の花が余白に描かれ、各見出しを示している。」