オヴィディウスが今に伝える俊足の乙女アタランタは、疾走するとき、なおのこと美しく輝いたという。
走る彼女の姿を捉えた多くの彫像、挿画、絵画、シンボルの内に、その髪と喪裾は完璧に麗しく翻っている。
疾駆する馬の鬣(たてがみ)の靡きに見惚れるように、人々は彼女の端正な動きに魅了されたのだろう。
何処(いづこ)かへと突き進む揺るぎない美が、守られた楽園の泉から顔を上げさせ、果樹たちから乳離れさせる。
自家受粉の循環と停滞から、オリーブの冠が待つ競技場へ、いつのことだったか扉が開かれた。
そして、掌中に握られたのは、やはり「自由」だったのだろうか。
樹々さえも求愛を始める月夜、アタランタは勇気あるヒッポメネスとの競争に、我先と終着を目指す。
ところが、あろうことか、彼女は向かうべき場所を見失ってしまった。
そして、おそらく今でもどこかを彷徨っている。
恋い慕う若者も、自分が追いかけていた美女の面影をとうに忘れてしまっただろう。
レースの行方を追いながら、彼らの勝敗を賭けて笑い興じていた人々はといえば、
巣穴の出入り口を破壊された蟻たちのように、戻るところも分からない。