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8
Jan 2012
Posted in arbor inversa, Blog, Info by Mariko at 04:07 am | No Comments »

来る個展の詳細が整いました。謹んでお知らせいたします。


それ自体が物語であり、詩であり、無言の書であるが、詰まる所はやはり絵であるというものが存在しうるのか判らない。それが終に目指しているものなのかどうかも判らない。だが、かつてヨーロッパで一斉風靡したエンブレムに、遠く心地よい手応えを感じて、ここ暫く鍾愛してきました。言葉と図像の幸福な婚姻― 私の作品はそれらから時代も場所も離れて、今だ不明の最中、独り遠い所にいるけれど、あやかって本展をエンブレマータと題しました。幾つかの絵札のような作品と共 に、制作中の戯れに書き散らした小文を、会期中の2月11日(土)、渡邊ゆりひと氏、山崎慎一郎氏の演奏と共に朗読いたします。

 

個展EMBLEMATAに寄せて----- (展覧会コメント)





Emblemata  Mariko Sugano exhibition 31 Jan. - 12 Feb.
エンブレマータ | 菅野まり子展
1月31日(火)-2月12日(日)
■火~土 tue-sat | 11 :30 - 22:00
■日 sun | 11 :30 ‐ 20:00
■月曜定休 closed on Monday


 先日告知させて頂きました菅野まり子展について、重要な変更がありましたので、至急お知らせいたします。
今週4日(土)に開催予定のパフォーマンスイベントが、出演者の都合により11日(土)19:00からとなりました。

 

 "渇いた鴉" 即興演奏と朗読
 2月11日(土) 19:00 開演 *日程が変更になりました
 渡邊ゆりひと(歌) 山崎慎一郎(ギター) 菅野まり子(朗読)
 ¥1,500 ( 1ドリンク付き)


 なお、4日(土)19:00からはインタビュー形式による、アーティストトークを予定しております。
こちらは入場無料、ウェルカムドリンク付きです。

 

 アーティストトーク
 2月4(土)19:00より


 入場無料、ウェルカムドリンク付き

 

 突然の変更になりまして、大変申し訳ありません。
本日から始まりましたEMBLEMATA展ですが、菅野は3日(金)と9(木)以外の、連日17:00から在廊予定です。
何卒よろしくお願いいたします。
 

 

Café & GalerÍa PARADA
吉祥寺駅から徒歩13分、またはバス5分(関東バス1番乗り場「成蹊学園前」下車)
〒180-0004 東京都武蔵野市吉祥寺本町4-25-7
TEL : 0422-27-6680
E-Mail : info@cafe-parada.com


7
Jan 2012
Posted in arbor inversa, Blog, Mnemosyne by Mariko at 07:33 pm | No Comments »


------- 絵は黙せる詩 詩は語る絵 (シモニデス)



 現代の人々がエンブレムと聞いて思い浮かべるのは、ブレザーの胸ポケットを飾るワッペンや、制帽の徽章といったアクセサリーであろう。伊藤博明著『綺想 の表象学』(ありな書房)によると、エンブレムとは、「填め込まれたもの」を意味する古ギリシア語 ἔμβλημα (emblema)に由来し、古ラテン語emblemaは、象嵌細工やモザイク作品を意味した。また、食器などの器に取り付ける、着脱可能な装飾部分を指 す語でもあった。すなわち、この語が意味する物体の用途は、古い時代から装飾、アクセサリーだった。ワッペンであれ、ブローチであれ、盾形や円形といった 制限された区画の中に、必要な視覚的情報を構成し、美しく填め込んだ工芸、デザインのことである。


 ところが、1531年、アウクスブルクの書肆ハインリヒ・シュタイナーから"Libellum emblematum"(諸エンブムレムの小書)<fig.1>を刊行したアンドレア・アルチャーティは、自らの詩集をemblemata(エンブレマー タ)(=エンブレム集)と称した。その意図は、個人や団体の姿勢やシンボルを表わすための、例えば出版社票のデザインなどに、自らのエピグラムがアイディ アを提供するだろうとの計らいだったらしい。この著書のエピグラムの一々に、丁寧に小さな版画の図版を入れて出版をプロデュースした書肆の狙いは大当たり し、以後、このアルチャーティの書は版を重ねて、欧州中のエンブレムブックの規範となり、後続の出版はバロック期に向かって隆盛を極めていく。当時は大変 もてはやされた文学ジャンルであったため、アントワープに巨大工房を構え、若きルーベンスを指導したオットー・ファン・フェーン(オットー・ウェニウス) なども、幾つかエンブレムブックの傑作を手掛けている。


 エンブレムブックにおける「エンブレム」とは、モットー(表題)、図像、エピグラム(銘文)から構成され、一般的な道徳(あるいは宗教的な徳)を説くも ので、図像は言葉によって完全に解き明かされるものだった。今の図解本のようなものであったと言えようか。その一方、王侯貴族の個人的な意図や願望を象徴 的に表現するインプレーサ(仏語でドヴィーズ、英語でデヴァイス)というものが存在したが、それらはモットーと図像から構成され、エンブレムとは区別され るものであった。(だが、図像とテキストが協働して何がしかを象徴するという点では共通しており、このジャンルにも、興味深い仕事が残されている。)


 このような一般的な徳や教訓などを説く主流のみならず、ミヒャエル・マイヤーの 『逃走するアタランタ』(1617)のような錬金術の著作もまた、エンブレムブックの形式を採用した。<fig.7>そして、1677年にフランスで出版 された『沈黙の書』<fig.8>に至っては、テキストは黙秘の内に掻き消え、読者に秘術を伝えようと紙面に繰り広げられるのは、不器用な風貌で賢者の石 づくりを励行する一組のカップルをめぐる15枚の図像だけである。


 思えば四半世紀の昔、銅版画を始めた頃だったか、白水社のヘルメス叢書にて、この無言のエンブレムを見たときの胸騒ぎが、現在に至る私にとっての長旅の 出航だったかもしれない。その時の奇妙な感覚は、ミュージアムにて万人の胸を震わす一枚の傑作の前に立つときのものとも異なり、熟読するのに労を要する名 著に自室で挑むときの高揚感とも一線を画す。そもそも錬金術の秘法を研究するでもない異国の門外漢にとって、ここに書かれているはずの叡智を読むなど、文 字が書かれていなくとも文盲の読書である。文盲と白状するならば、ラテン語やらオランダ語やら異国の言語で書かれたモットーやエピグラムに伴われた大方の エンブレム図像についても同じことが言える。


 しかしながら、エンブレムブックに収録された異国の図像の数々を、文盲ならではの嗅覚でサーヴェイしていると、絵師の創意工夫だったのか意図せざる技 だったのか分からないが、その意味することが理解できなくても、ある特別な体験が生まれることがある。それは、イマジネーションの扉が開き、現代科学風に 言えば異次元宇宙への扉が開くようなもの、と言ったら大袈裟に聞こえるだろうか。邯鄲の中に入るように、図像の中の刷りの余白、2次元宇宙に引き込まれる 一瞬。時には、無名に近い絵師たちが作ったあまりにも素朴な図像もあるというのに、それだけの力を秘めているというのは、いったい何故なのか。美術興行の 手垢に塗れることなく、ただ読者との出会いを期待して、読まれるための舞台である「書物」の内に身をそっと潜ませていたからなのだろうか。つくづく、絵を 描くという行為には、測り知れない秘密がある、と思う。何万年も前に描かれた岩窟の絵や骨片に刻まれた紋様など、美術史が考古学になる刻限まで遡って思い を巡らせてみると、息長く遙か彼方まで越境して、人々の記憶に寄生し続けるのは、マッチ箱の図案に繰り返されるような、ささやかなイコンなのかもしれない などと夢想する。


 2次元宇宙にせよ、過去への遡行にせよ、いずれにせよ此処ならぬ彼処への扉を、異国の黴臭いグラフィックに見出すのは、おそらく私個人の異国趣味なのだ ろう。だが、そのようにして異次元のものに結ばれるまま、自分なりの図像を紡ぎだすとき、現代日本を生きる日々の体験が、そのグロテスクな現身を脱いで、 より生々しく迫ってくる。白々としたページの余白は質量を増して黒い天体となり、天地の無慈悲も、人の世の不条理も、小さな慰めの数々も引き込んで益々輝 き、愚かで強靭な生命である私たちを、無情に照らし続けるかのようだ・・・


 今回の個展に際し、数多の楽しみをもたらしてくれた図像たちに謝意を表しつつ、勇を鼓して『エンブレマータ』と題打った。そして、絵が仕上がるたびに添 える画題は、描かれたものに唯一言葉の窓を穿つ点で、インプレーサにとってのモットーに見立ててみよう。あとは、ルネッサンスの賢人よろしく『ギリシア詞 華集』を模したエピグラムでも物せればエンブレムとして恰好がつくが、そんな教養も詩才もないので、かつての定型を再現することなど意図できるはずもな い。ただ、エンブレムブックのページのように、絵と言葉が主従関係でなく共振するような場が作れたらと願い、制作中の戯れに書き散らす小文を、会期中、即 興演奏と共に朗読する。

 

 

 

 

 

<fig.1>アンドレア・アルチャーティ『諸エンブムレムの小書』(1531)より














<fig.2>ヨハネス・サンブクス 『エンブレム集』初版(1564)
ハプスブルク皇帝ルドルフ2世に仕えた歴史家が収集した167のエンブレム集。各ページに、モットー、図版、エピグラムで構成するエンブレムブックの定型。







<fig.3>オットー・ウェニウス『ホラティウスのエンブレム集』第三版(1612)
図版は大きく扱われており、見開きの左ページにホラティウスの詩を中心としたテキスト。












<fig.4>ヘルマン・フーゴー『敬虔な欲望』英語版(1679)
イエズス会士による、キリスト教エンブレム集のベストセラー













<fig.5>パオロ・ジョーヴィオ『戦いと愛のインプレーサについての対話』リヨン版 (1559)
フランソワ1世のサラマンドラのインプレーサが、対話中に挿入されている。












<fig.6>クロード・パラダン『英雄的ドヴィーズ集』英語版(1591)
このドヴィーズが伴うモットーは「興味深き、自然の模倣者」













<fig.7>ミヒャエル・マイヤー『逃走するアタランタ』(1617)
扉ページに大きくEMBLEMATAと掲げられている。標語とエピグラムを伴う50の図版、さらに、マイアー自身によって作曲された音楽で構成されている。










<fig.8>作者不詳『沈黙の書』(1677)
錬金術の最終段階を表わす最後のエンブレムには、Oculatus abis(目を与えられ、汝は発つ)の言葉がある。

10
Dec 2011
Posted in Blog, Info by Mariko at 10:08 pm | No Comments »

Invitation to the coming group show "MESSAGE 2011" that will be held in Gallery Kobayashi from Mon. 12 Dec. Please check this to see new works.

12月12日月曜より、コバヤシ画廊でのグループ展「メッセージ2011」に、新作小品を出品いたします。詳細は、こちらをご覧ください。また、初日17:30よりオープニングパーティーがありますので、よろしければお立ち寄りください。

28
Oct 2011
Posted in Blog, Monologue by Mariko at 12:41 am | No Comments »

潮近い村に、女があった。人並みの器量で肌理良く、気立ても良かったので、嫁にと貰われていくが、歳月経ても子が出来ぬので戻される。そんなことを幾たびか繰り返し、ついに身を隠すようにして集落のはずれに住むようになった。交わっても子をなさぬ女のひとり住まいである。女の家に通う男は限りなかった。ところが、ある年の春、女の顔が変わってその腹が誇らしげに立ち始めた。男らは皆青ざめて出入りを止めた。萱高く白々しい月の晩、打ち捨てられた苫屋よりも侘びた家で、女は一人子を産んだらしい。その夜、鰻を獲りに沢に出ていた老婆が、産声を耳にしたと吹聴した。かつて足繁く通っていた男の中でも、ひときわ女を慕っていた若者があり、恐る恐る親子の様子を見に出かけていった。崩れた透垣越しに赤子をあやす女の声が聞こえてくるが、子供は寝ているのか泣き声ひとつしない。そっと踏み入って小間を覗き見ると、なんと女は石を抱いてアヤシテいた。

 石女(うまずめ)が石を産んだと人々は噂した。中には子を持てぬ女の気がふれて寂しく石に情を抱いたのだろうと憐れむ者もあったが、誰もが女の家を避けて通る。時折、その方角からほうほうという微かな音が聞こえるようになった。皆、石が泣くといって慄き、どうにも落ちつかない。そのうちに、あんな不吉なものを集落に置くわけにはいかないと、声高に憤るものがあらわれる。恐れは憎悪となって、見る間に屈強の一団が仕上げられ、山賊のようないでたちで女の家に押し入ると、女が泣き喚くのを捩じ伏せて不吉の石を担ぎ出し、すぐ裏の小山へと向かった。男らは、テッペン近くまで一気に駆け上り、鳶(とんび)が寄り付く険しい岩陰に、石を隠して下山した。女は子を追って山に入り、その姿を探し歩いたようすであったが、やがて行方も知れなくなってしまった。


 それから幾歳月が過ぎ、海に霞の立つ頃であった。男らは舟を出し、女らは田畑で泥を掘り返していた。その傍で小さな弟妹をあやしながら遊んでいた子どもらが、山のテッペンで昼なのに鵺(ぬえ)が鳴きよると騒ぎ出した。母親たちは、そんなものは聞こえぬと取り合わない。子供らは団子になって集まり、テッペンがほうほうと呼びよる、鳳凰かもしれん、聞きなれぬ鳥の声もしよる、などと言い合いながら、連れだって裏山を登って行った。子供らが、その鳴き声をつたって、捨てられた石の子を仰ぐあたりに辿り着いた頃、地がかつてなく大きく揺れた。痩せた黒松、不動の岩など手の届くものに抱き着いてやり過ごし、そろそろと眼下の村を見はらすと、騎馬の大軍も及ばない潮の隊列が迫りくる。母を呼んで泣く幼子らの手をひき、目を瞠って見下ろしていると、麓のすべては泥の海の下、何もない地に還ってしまった。


 平安の昔、美濃国に石を産んだ娘があって、伊奈婆(いなば)の神からその石は我が子也との託宣があったという。この土地の女が生んだのも、そのような不思議なことだったかもしれない。石の子が置かれた場所は祀られ、今に伝えられている。

 


註:
 美濃の生娘が石を産み、神としてまつった話が、日本国現報善悪霊異記下巻第三十一に見られる。

25
Jul 2011

毎年参加させて頂いている、「新世代への視点」関連企画小品展ですが、今年は入札式によるオークションで作品を展示販売いたします。当展示での売り上げの一部を緊急災害復興支援の義捐金として、東日本大震災芸術・文化による復興支援ファンドに寄付させていただきます。
拙作は以下に添付いたしました小品で、最低落札価格2万円からです。
皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。

2011年7月25日(月)~8月6日(土) 日曜休
11:30a.m. - 7:00p.(最終日5:00p.m./入札締切2:00p.m.)
会場:ギャラリーなつかb.p(東京都中央区銀座5-8-17 GINZAPLAZA58・8F)
主催:東京現代美術画廊会議
>出品作家等詳細(ギャラリーなつか公式サイト)

 

I take part in the group show "Statements from Galleries" every year. This year it will be held as a charity auction, and we will allot part of its sale to disaster restoration measures. My work is a small work (size :15.7x22.8cm) which is attached below and you can bet from 20.000 JPY. You are cordially invited to this event. Thank you.

Mon. 25 Jul - Sat. 6 Aug. 2011  Closed on Sunday
11:30 a.m. - 7:00 p.m. (last day 11:30a.m. -5:00p.m)
auction closing 2:00P.m. Sat 6 Aug
at: Gallery Natsuka b.p(5-8-17 Ginza, Chuo-ku, Tokyo)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「香炉」 15.7x22.8cm/2011
  キャンヴァス、アクリル、顔料、和紙、油彩、鉛筆

 "Aroma Furnace" 15.7x22.8cm / 2011
  canvas, acrylic, pigment, Japanese paper, oil, pencil