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Oct 2011
Posted in Blog, Monologue by arbor inversa at 12:41 am | No Comments »

潮近い村に、女があった。人並みの器量で肌理良く、気立ても良かったので、嫁にと貰われていくが、歳月経ても子が出来ぬので戻される。そんなことを幾たびか繰り返し、ついに身を隠すようにして集落のはずれに住むようになった。交わっても子をなさぬ女のひとり住まいである。女の家に通う男は限りなかった。ところが、ある年の春、女の顔が変わってその腹が誇らしげに立ち始めた。男らは皆青ざめて出入りを止めた。萱高く白々しい月の晩、打ち捨てられた苫屋よりも侘びた家で、女は一人子を産んだらしい。その夜、鰻を獲りに沢に出ていた老婆が、産声を耳にしたと吹聴した。かつて足繁く通っていた男の中でも、ひときわ女を慕っていた若者があり、恐る恐る親子の様子を見に出かけていった。崩れた透垣越しに赤子をあやす女の声が聞こえてくるが、子供は寝ているのか泣き声ひとつしない。そっと踏み入って小間を覗き見ると、なんと女は石を抱いてアヤシテいた。

 石女(うまずめ)が石を産んだと人々は噂した。中には子を持てぬ女の気がふれて寂しく石に情を抱いたのだろうと憐れむ者もあったが、誰もが女の家を避けて通る。時折、その方角からほうほうという微かな音が聞こえるようになった。皆、石が泣くといって慄き、どうにも落ちつかない。そのうちに、あんな不吉なものを集落に置くわけにはいかないと、声高に憤るものがあらわれる。恐れは憎悪となって、見る間に屈強の一団が仕上げられ、山賊のようないでたちで女の家に押し入ると、女が泣き喚くのを捩じ伏せて不吉の石を担ぎ出し、すぐ裏の小山へと向かった。男らは、テッペン近くまで一気に駆け上り、鳶(とんび)が寄り付く険しい岩陰に、石を隠して下山した。女は子を追って山に入り、その姿を探し歩いたようすであったが、やがて行方も知れなくなってしまった。

 それから幾歳月が過ぎ、海に霞の立つ頃であった。男らは舟を出し、女らは田畑で泥を掘り返していた。その傍で小さな弟妹をあやしながら遊んでいた子どもらが、山のテッペンで昼なのに鵺(ぬえ)が鳴きよると騒ぎ出した。母親たちは、そんなものは聞こえぬと取り合わない。子供らは団子になって集まり、テッペンがほうほうと呼びよる、鳳凰かもしれん、聞きなれぬ鳥の声もしよる、などと言い合いながら、連れだって裏山を登って行った。子供らが、その鳴き声をつたって、捨てられた石の子を仰ぐあたりに辿り着いた頃、地がかつてなく大きく揺れた。痩せた黒松、不動の岩など手の届くものに抱き着いてやり過ごし、そろそろと眼下の村を見はらすと、騎馬の大軍も及ばない潮の隊列が迫りくる。母を呼んで泣く幼子らの手をひき、目を瞠って見下ろしていると、麓のすべては泥の海の下、何もない地に還ってしまった。

 平安の昔、美濃国に石を産んだ娘があって、伊奈婆(いなば)の神からその石は我が子也との託宣があったという。この土地の女が生んだのも、そのような不思議なことだったかもしれない。石の子が置かれた場所は祀られ、今に伝えられている。

 

註: 美濃の生娘が石を産み、神としてまつった話が、日本国現報善悪霊異記下巻第三十一に見られる。



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